日本の漢字文化に学ぶ気遣いの大切さ
「こども」を漢字を使って表記する場合、「子ども」って書く場合と「子供」って書く場合がありますよね。
みんな知ってると思いますが、「子供」って書いた場合、「大人のお供」というようなイメージを与える恐れがあるため、間違いではないですが「子ども」と表記されることも多いです。
似たような例でいえば、「障がい者」と「障害者」。こちらは、「障害者」と書くと、(身体や精神など何らかの)障がいを持つ方が、「害なす存在」「邪魔者」というような差別的なニュアンスを持って表現されていると感じる可能性があるなど、表記の方法についてさまざまな議論があります。
現代においては、上記例以外にも、パワハラ・モラハラなどの〇〇ハラが盛んに問題視されるようになったり、LGBTなどのマイノリティも含めた多様性の受容が重要視されるようになったりと、よりいっそう幅広くすべての人々の人権を尊重しようという意識が高まっているように思います。
「子供」って書くことが間違いではないですが、時代の流れを感じとって、漢字の使い方のようなささいなことからでも、気遣いができるというのはとても大切なことだと思います。「別にいろんな人に見られるわけでもないしそんなとこで気を遣っても意味ない」とかではなく、常にそういうことに気づける心持ち・敏感さが大切だと思います。
以上のそれっぽい話をふまえて言いたい。
人の名前の漢字も一緒やぞ!!ってかそっちのほうが圧倒的に多いぞ!!
渕と淵、間違える人多すぎます。
同じ字の書き方違うだけとかじゃないんで。まったく別の漢字なんで!!
名前の漢字を間違えられること自体はある程度はしょうがないと思います。誰にだって間違うことはあります。
でも、何回も同じように間違う人、ふだんのメールとかじゃなく印刷物やクレジットなど間違えたらあかん大事なとこでちゃんと確認せず間違える人、そういう無頓着で人への気遣いを持っていない人には本気で立ちます。腹が。
ふだんから何も考えてないんやろうなって思います。
漢字という同音異字を持つ表意文字を使う文化に生きる以上、そういう気遣い、大切だと思います。