卓球ラケットに学ぶ日本人の深層心理
卓球というスポーツは、比較的裾野が広いスポーツだと思います。
未経験者が遊びでやるとしても、必要人数が少なく、物理的スペースも他のスポーツほど必要とせず、初心者同士でも他のスポーツに比べればまだ形になりやすいと思います。(私は小学校時代に卓球を習っていたので、決してナメているわけではありません。)
そんなスポーツなので、他のスポーツよりもお手軽にできるものとして、娯楽施設内に設置してあることも多く(温泉とかホテルとか自由空間とか)、未経験者が触れる機会も多いと思います。
私も、遊びで卓球をすることはたまにあります。そんななかでよく思うのですが、
なんでみんなペン持ちするの?
卓球のラケットには、大きく分けて2つの持ち方があります。
握手をするように持つシェイクハンド。
ペンを握るように持つペンハンド。
現代卓球においてはシェイクが主流であり、世界で活躍するプロ選手を見てもペンハンドの選手はほとんどいません。(トップ選手でいえば中国の許昕ぐらいでしょうか。)
日本は卓球においては強豪国なので、日本人の卓球選手については比較的よく報道されます。
最近では、水谷隼・丹羽孝希・石川佳純に加え、張本智和・平野美宇・伊藤美誠などの新世代も活躍し、テレビでもよく目にします。
この人たちもみんなシェイクハンドなんです。
そう、経験者・未経験者にかかわらず、人々がふだん目にする卓球の風景では、みんなシェイクハンドです。
にもかかわらず、多くの人がとりあえずラケットを握ってみるとペンハンドで握ろうとします。
(あくまで個人的に感じているだけですが)
なぜなんでしょうか。
なぜこれほどまでに、普段目に入る情報を無視させるほど、ペンハンドが強烈な印象を持っているのでしょうか。
まず、卓球ラケットの歴史を調べてみると、一昔前の日本ではペンハンドが主流だったようです。
昔の卓球では、現代の卓球のように長いラリーが続くことは少なく、もっと一撃で決まることが多かったようです。(現代よりも回転がかかりやすく、スピードが出やすかったらしいです。)
そんな環境のなか、シェイクに比べて、手首の可動域が広くて回転がかけやすい、振り抜きやすく球の威力が出やすいといった長所を持つペンが主流だったようです。
そのため、当時を知る上の世代の人々にとっては、卓球ラケットの持ち方のイメージはペンなのでしょう。
しかし、現代にいたるまでで、そのような卓球の競技環境も変化します。
ルール改定により、卓球のボールが38mmから40mmに変更され、またボールの材質も変更されます。それによって、スピードは出にくく、回転はかかりにくくなり、長いラリー戦が展開されるようになります。
ペンは短所として、バックが苦手です。日本式のペンラケットではそもそも裏面にラバーを貼ってすらいません。
ラリー戦の長期化によって、バックハンドの必要性が高まり、フォア・バックともにバランスよく打てるシェイクがだんだんと主流になっていきました。
さらにいえば、近年一般的な技術となりつつあるチキータの発明も、ペン衰退の大きな要因のようです。
チキータは台上でもバック強打ができる打法であり、シェイクならではの技術です。
このような要因によって、現代の卓球界ではペンハンドは衰退し、シェイクハンドが主流となっているようです。
上の世代にとって卓球ラケット=ペンという認識であることは、「昔はそれが主流だった」というのが理由ですね。
でも、私は20代ですが、それぐらいの若い世代でも、ペンで握ろうとする人はそれなりに多い印象です。
シェイクが主流となった時代しか知らないはずの若い世代にまで、卓球ラケット=ペンというイメージが再生産されているのは、なぜなのでしょうか。
歴史を調べているなかで、一つ興味深い記述がありました。
一昔前にペンが栄えていた要因のなかで、上記のような技術的特性に加えて、「箸を使用する日本人にとって持ち方が似ているペンのほうが手になじみやすかった」という理由が考えられるというものです。
なるほど。
シェイク・ペンの2種類の持ち方があるなかで、普段主流のものとして目にするシェイクではなく、あえてペンを選択するのには、日本人として染みついた日本文化・大和魂が深層心理にあるからなのかもしれないのですね。
なんかちょっと納得できた気がします。