マコトの徒然日記

日々思うことを綴ります。よく頭おかしいと言われます。

ドメスティックな流行から学ぶ異文化交流

いつの時代でも、そのときどきで流行・ブームってありますよね。

 

しかもそれはめまぐるしく移り変わるもので、あるものが爆発的なブームだったかと思えば、気づけばいつのまにか全然見なくなっていた、みたいなことも多々あります。

芸人さんとかは特にそんな傾向が著しいですね。

 

 

最近の日本でいえば、タピオカが最たる例だと思います。

また最近よくあるタピオカブーム嘲笑系批判か」と思われるかもしれませんが、別にそんなつもりはありません。

ブームというのは、何かしらきっかけや理由があって流行っているのであって、たとえそれに乗っかる人がそれを知らなかったとしても、ただ流行っているからというだけの理由だったとしても、本人たちが楽しんでいるのであれば、それでいいと私は思います。他人の趣味に口出すな的なやつですね。

 

でも、ある一定範囲での流行を全く違う世界の人に見られたとき、ちょっと恥ずかしい気持ちになることありませんか?

 

たとえば、日本に来た外国人が「日本ではこれが大流行中なのか。よくわからんな。」みたいな風に見ている気がして、たとえ自分はその流行に乗っていなくてもなんかちょっと恥ずかしくなります。

仲のいい友達同士でしょーもない内輪ノリが流行っているときに、全く別のコミュニティの友達にそれを見られて「それ別におもしろくないよ」みたいな顔されたりとか、経験ないですか?(私だけですか!?)

 

流行・ブームに限った話ではないですが、同じ人間であっても、一つの物事に対しての評価は人それぞれであり、それは自らの属する環境に大きく影響を受けるということですね。

 

 

 

小学生のときの話です。

 

姉が通っていて、後に私も通った地元の中学で、毎年カナダのとある中学と1週間ずつ交換留学みたいなことをし合っていました。

当時、姉がそれに行ったので、逆にカナダの中学生の女の子(便宜上ミラジョボビッチとしましょう)を1週間ホームステイで受け入れました。英語でミラジョボビッチとまともにコミュニケーションがとれるのは姉だけでしたが、私を含めた他の家族もどーにかこーにかがんばって、ある程度は打ち解けていたと思います。

 

ミラジョボビッチは我が家のリビングの隣の部屋を使っていました。

 

さて、私と母がリビングで当時全盛期であった「トリビアの泉」を視聴していたときのこと。

 

「雑誌の表紙は消しゴムで消える」というトリビアが紹介されました。

雑誌の表紙を消しゴムでこすると印刷が消えて白くなるというものでした。さて、番組の定番、おもしろおかしく検証する場面になりました。

ハリーポッターのBGMにのせて、おっさんが大真面目にグラビアモデルの水着を白くしていくという映像で視聴者の笑いを誘っていました。

 

ここで、ミラジョボビッチがとてもうれしそうな顔でリビングへ走ってきました。

ハリーポッター!?」ちゃんとした英語の発音で言っていました。

 

そう、当時はハリーポッターも全世界で大人気でしたし、英語圏の人なので、その人気は日本以上だったのではないでしょうか。

 

ところが、画面に映っていたのは水着グラビアとそれを真剣な顔で見つめるおっさん。

ミラジョボビッチは明らかに「なんじゃこれ」という顔をしていました。

しかし、母も私も英語は話せません。「これは日本の大人気のテレビ番組で、おもしろおかしくするためにハリーポッターの曲を使ってるんだよ」なんて説明はできません。何も言えないまま、ミラジョボビッチはすぐ残念そうに部屋へ戻って行きました。

 

「日本人はよくわからんものをおもしろいと思うんだな」とか、もしかしたら「私たちの大好きなものを嘲笑している」とさえ思われていたかもしれません。

何より自分がおもしろいと思って笑っていたものを「なんじゃこれ」という顔で見られたのが非常に恥ずかしかったです。

 

 

国境を越えて、お互いの文化を知り、互いを理解するというのは、現代のグローバル社会では大切ですが、やはり難しいのだとも思います。

互いはそれぞれ違う文化に生きているということを受け入れた上で、自分の文化を自信を持って誇ることができるというのが理想の姿なのでしょう。

 

 

ちなみに、ミラジョボビッチは私の遊戯王カードは、「YU-GI-OH!!」とちゃんとした英語の発音でうれしそうに興味を示したため、私は持っているレアカードを自信を持って誇ってやりました。

遊戯王は世界共通の偉大な文化ですね。