最適解とは?
「もっと最適な形があるのでは?」と思うことありませんか?
たとえばギター。
はるか昔からあの形でギターとして認識され使われ続けています。
もちろん、使いやすいようにある程度の改良は加えられてきたのだとは思いますが、おおまかにだいたいこんな形っていうのは変わってないですよね。6本の弦を指でおさえてもう片方の手で弾くという形式もそうですね。
でも、それはあの形でギターとして広く認識され普及してしまったために、もっといい形があるにもかかわらず変えられないのかもしれません。そのときはもはやギターとは呼んでもらえないかもしれません。
形式美とか様式美っていうものは、しょうがないのもわかります。
今さら変えられるか!っていうものもたくさんありますし、長年の積み重ねがあるのであれば、ある程度は合理性はあるのだと思います。
でも、それより優れたものが出てきても異端扱いされるのは、それはそれでもったいないです。
これまで培われてきた常識にとらわれて、新しいもの・よりよいものを受け入れようとしない、というのは社会のなかですごく感じます。
先日の改元でも、結果としては前例にとらわれない、非常に合理的でスムーズなもので、世間的にも大半の人が肯定的だったように思います。
が、一方では、「前例がない」「異例」みたいに、固い発想で論理的な理由にもなってないような理由での反対意見も一定数あったように思います。
たしかに、何でもかんでも時代に合わせた、便利なものにすればいいというわけでもないですが、「今までずっとこうだから」というのはそれを続けることの理由にはならないでしょう。
難しいですね。