【バトル・ロワイアル】今さらながら感想を語る
映画『バトル・ロワイアル』がアマゾンプライムで無料だったので、はじめて観ました。
衝撃作でした。いろんな意味で。
今でこそ、あんな感じの設定のマンガとかありそうですが、2000年当時を考えれば、社会的に大問題作と扱われるほどの衝撃作であったのも頷けます。
中学3年生のとあるクラスが、最後の一人になるまで殺し合う。しかも国の法律によって。
友達を殺さなければ自分が殺される。生き残っても最後の一人でなければ国に殺される。
次から次に中学生が中学生を殺していく様は、なかなかにハードな内容でした。
確かに公開当時には、国会でも議論されるほどの衝撃作だったでしょう。
でもそれは、きわめて表面的な感想にすぎないものだと思います。
「バトル・ロワイアルは中学生たちが殺し合う映画」
間違ってはいないですが、本質はもっと深く、当時の社会に大きなメッセージを投げかけるものだったはずです。
凶暴化する子どもを恐れる大人の苦悩
本作の大前提ともいえる教育改革法「BR法」。その根底にあるのは、子どもに対する大人の畏怖です。
本作においては、自信を失った大人たちが、凶暴化して手に負えなくなりつつある子どもを押さえつけるためにとった最後の手段がBR法でした。
バトル・ロワイアルをさせて子どもを恐怖で支配しようとしたのです。
ここで描かれる、この狂った世界は何を表しているのか。
それは紛れもなく、当時の日本社会そのものです。
酒鬼薔薇聖斗に代表されるような、凶悪な少年犯罪の発生・増加が嘆かれていた時代。
アニメやゲームのような非現実世界の発展がその原因だと叫ばれていた時代。
少年法に大きな疑問が投げかけられた時代。
当時の大人は、社会の変化に伴って昔の自分とはまったく違った生き物のように成長した子どもを恐れ、どう接するべきか考えていたことでしょう。
そんななかで、社会の変化に伴って当時の子どもたちの前に現れたアニメやゲームのような非現実世界に原因を求めました大人もいました。
また、凶悪犯罪を犯した子どもを擁護する少年法の改正が議論されていたのもこの頃です。
変化した子ども。
それを危惧する大人。
子どもを大人の考えで理解しようとする大人。
バトルロワイヤルは、そんな当時の社会に警鐘を鳴らす映画だったのではないかと思います。
このままでは、凶暴化した子どもを押さえつけるために大人がそれ以上に凶暴化してしまう、と。
そんな当時の大人と子どもの危うい関係を見事に描き出しています。
その上で、映画の終盤には冷徹な殺人鬼的な雰囲気を醸し出していたキタノ先生とヒロインの中川典子の歪な関係が描かれます。
子どもたちから疎外されるキタノとキタノに唯一理解を示していた中川。
キタノの中川に対する思いは病的な感じで、正直いいこととは言いがたい感じでもあるのですが、それでも大人と子どもの双方向の理解の可能性を感じさせるものでした。
大人と子どもの断絶が大きな世界でも、お互いに歩み寄ることができるということを示しているようでした。
バトルロワイヤル、いろんな意味で衝撃作でした。
少なくとも私が想像していた衝撃作とはまったく違うベクトルを持った、非常に奥が深い名作でした。
※ 公開当時7歳だった私には、当時どのように世間に受け入れられ、どのような評価がなされていたのかは現在インターネット上にある情報ぐらいでしか知り得ませんし、当時の社会の風潮なども自分で感じたものというよりはあとから学んだものですので、的外れなことを言っているかもしれません。
それだけはご了承ください。