ギャクマンガを最大限楽しむためには
ギャグマンガを読む上で、悩みがあります。
ギャグマンガ日和やいぬまるだしが大好きなのですが、読んでいるページの後ろの方のボケを無意識のうちに見てしまう(視界に入ってしまう)のです。
そのボケに向かっての伏線部分を読んでいるときに、そのボケを見てしまい、そのたびにボケに対して100%笑えていないのではないかと自己嫌悪に陥ります。
(ボケがページをめくった先にあればいいのですが・・・)
この現象が起こるのは私だけなのでしょうか?
他の人はこんな現象には陥らないのでしょうか?
気になります。
そして、少しでも改善の手助けとなればと思い、原因究明を試みました。
原因候補①:私の視野が広すぎる
もし私だけがこの現象に見舞われているのだとすると、まず思いつくのはこれです。
視野が一般の人よりも広いため、先のコマまで見えてしまうのではないか、ということ。
ただし、これが原因の場合、私が他人より優れているという結論となり、ぶっちゃけうれしいので改善することができず、問題解決にはなりません。
逆に、解決するためには視野を狭めるしかなく、それは改善ではなく改悪であり、間違いなく私の人生の質を下げるものなので、決してこれを原因とするわけにはいきません。
原因候補②:私が過程に興味のない人間である
私が自分でも認識していない根底では、ボケに向かう過程に興味を持っておらず、結果としてのボケだけを求める人間である、というのも原因候補として考えられます。
ただ、私自身、何か一定の成果を求められて追い込まれるような経験は特にしたことがなく、(しいていえば受験、就活ぐらい?それでも追い込まれたりはなかったですが)ひたすら結果を追い求める人間になるような人間形成はなされていないように思います。
何より、結果主義ってなんか冷酷な人間みたいなイメージがあるので、私の人間性を否定しないためにも、決してこれを原因とするわけにはいきません。
原因候補③:逆に私が過程を重視する人間である
候補②とは真逆で、先に結果としてのボケを把握しておくことで、そこに向かう過程としての伏線がどのように張り巡らされるのかを楽しんでいる、「なるほどこのボケはこうして生み出されたのか!」というアハ体験を楽しんでいる、ということも考えられます。
先ほどの結果主義とは逆に、過程を大切にするというのはなんか丁寧で優しい人みたいなイメージがあるので比較的好印象なのかもしれません。
また仕事でも常に、根拠を持って筋道立てた説明を心がけているため、少しはそういう考え方が身についているのかな、とも思います。
でも、それはそれで、先に見たボケに対してどのように話を展開するのか、またその展開によって生み出されたボケは総合的にみるとどうなのかと、評価しているようでなんか偉そうで何様な感じがします。
また、過程を大切にするというのも理屈っぽいめんどくさい人間と思われそうですし、なんかプライベートまで仕事に侵されているようでイヤなので、決してこれを原因とするわけにはいきません。
原因候補④:先のボケが見えてしまうコマ割りに問題がある
100%ありえないですし、これこそ何様すぎるので、決してこれを原因とするわけにはいきません。
結論:
先のボケが見えてしまう現象は私だけが見舞われているとすると都合が悪いので誰もが経験するごく一般的な現象である。